Blog

ビジデザイン卒業生、今何してる?@エストニア

こんにちは、ビジネスデザイン学科卒業生の藤本です。この記事はエストニアの首都タリンから二番目に大きな都市タルトゥに向かう電車の中で書いています。エストニアってどこ?って思った人はググってみてください。フィンランドのバルト海を挟んで南、ロシアに面しているバルト三国と呼ばれているうちの一つで、自然あふれる素敵な国です。

さて、私は学部4年生の2022年3月から約一年間エストニアに滞在し、現地の環境保護団体(NGO)でインターンシップをしていました。COVID-19がなければ本来は2020年の夏頃からの予定であったため、なんと2年も日本で待っていた(つまり本学には計6年間いたこと)になりました。2023年春に本学を卒業した後は、在学中に留学したエストニアに戻り、エストニア大学院で、理学修士号を取るために、「森林データサイエンス」を学んでいます。自分のことは2年休学/留学して/エストニア/林業 の人って認識してくれたらわかりやすいと思います。

この記事では、#留学 に興味がある昭和女子大学の在学生や、本学に関心のある受験生に向けて、自分の在学中・卒業後の活動について紹介します。
昭和女子大学に在学していたからこそ、人生の転機となったことがたくさんあるな〜と振り返ってみて感じる瞬間が多々あります。それらも併せてご紹介できたら嬉しいです。

なぜ2年休学して留学?

「自分を試してみたかった」が理由になります。ビジネスデザイン学科は留学が必修で、アメリカボストンに半年弱自分の時は行きました。ボストンの経験が自分の学びに対するモチベーションを強く揺さぶってくれました。一方で、もっとできたんじゃないかと後悔もありました。アメリカ留学から戻って来てからは、自分の興味に貪欲になり、授業も積極的に参加するようになりました。その結果、「今度は長期留学でもっと自分を試してみたい」と感じ、2度目の留学を志すようになりました。なぜ2年も待ったかというと、社会人になって留学することが人によっては苦労すると聞いたことと、この後話しますが、給付型奨学金を運良く取得できたことが理由になります。

留学のお金は?語学力は?

「なんで2度も留学するんだ。どこからその留学のお金が出てくるのか」と父や家族から強く言い放たれたことがあります。とても勉強ができる優秀な学生でもないのに、学費を払ってくれている家族に対して、追加で留学行きたいんだよね!ってよく言えたなとも思います。結果的に昭和の先生に相談して、トビタテ!留学JAPANを教えてもらってから道が開けました。トビタテ!留学JAPANとは、返済不要の給付型留学奨学金で文科省と民間企業の支援で運営されている奨学金制度です。昭和の先輩方も何人かトビタテで留学しています。https://tobitate-mext.jasso.go.jp/newprogram/?fbclid=IwAR2Ple17bLoRybhBroQI7k_8XBD7ayCH4V38YN8CKw2cTVhgK6d3Un6QXK0(最近高校9期、大学16期生の募集がはじまりました)

お金はトビタテで解決しました。語学力の問題もトビタテでなんとかなりました。当時TOEICの点数で500点くらいだったと思います。しかしトビタテ!留学JAPANは、成績・語学力不問で、渡航先もテーマも自由であるという、つまり、熱意さえあれば可能性があるという、他に例の少ない奨学金制度なのです。ただし、現地の活動先は自分で見つけないといけないことと、現地で生活、勉強、働くための語学力はいずれにせよ必要になるため、大きな成長が期待できます。留学1年後、自分も海外大学院にアプライできるくらいには語学力を高めることができました。

なぜ林業か?

大きな理由はビジネスデザイン学科のゼミ活動です。自分は八代尚宏ゼミに所属し、経済学について学んでいました。ゼミ活動の数々はどれも興味深く、中でも岐阜県の高山市へゼミ合宿として訪問し、最終的に地域活性化について大学生の考えを、ゼミのメンバーと一緒に、飛騨高山学会で発表したことが大きな経験になりました。学会ではインバウンドや地方の公共交通網についてと、林業についてを発表しました。当時のゼミの先生に「林業って面白いんじゃない?」と言われたことと、ゼミ中にGISサイトを見ながら現地の経済的視点から問題点を探っていた時、岐阜県は林野率が高いのに、なぜ有効活用できてないんだろうという疑問から、林業に興味を持ちました。今となってはそのGISソフトウェアを使ってデータ分析して森林を海外で学んでいるなんて驚きですよね。トビタテでは自分のテーマを持って留学しなければならないため、幸運にもトビタテ応募時に一番関心があった林業をテーマに留学できたという経緯があります。

なぜエストニアか?

じつはCOVID-19の前は、林業が盛んなニュージーランドを渡航先として決めていましたが、NZはコロナの規制が厳しく、入ることができませんでした。渡航先を変更する時の要点としては、 将来、日本の林業振興に有用な知識が得られることでした。北欧の国は、そうした条件に合っていましたが、とくに、IT先進国として名高く、ITを活用した森林管理システムが発達しているという特徴からエストニアに決めました。エストニアでの最初の1年間は楽しくもあり苦しくもありましたが、とても充実していたと言えます。

次回の記事では、現地でのインターンシップや、就職活動をしていたこと等を綴ることができればと思います。